岡村淳監督ドキュメンタリー作品『ブラジルのハラボジ』

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戦時中、朝鮮半島から日本、そしてブラジルに渡った「ハラボジ」をインタビューしたドキュメンタリーを見てきました。

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ブラジル在住の映像記録作家

映像記録作家・岡村淳さんに初めてお会いしてから早、十数年がたちます。私が22年間すごした静岡に日系ブラジル人が多く住んでいた関係で、主にブラジルの日系移民をテーマに作品を作っている岡村監督とのご縁がありました。

岡村監督は作品をDVD販売はせず、かならず製作者立会いで上映会を行うので、時間と場所と上映作品が限定されます。
ぜひ、HPをチェックしてみてください。

22年前のインタビュー

今回見た作品はブラジルに移民した朝鮮人ハラボジが主人公。
岡村監督の質問に答えるハラボジの姿が53分、続きます。
1996年、ハラボジ89歳です。
はっきりしゃべるのも大変で、全編、字幕付きでした。

冒頭、ブラジルで日系人たちが集まる教会の礼拝の場面から始まります。
「ブラジルのハラボジ」は、日系人コミュニティーに住んでいる?
しかもお名前は「三田さん」。どういうことなのでしょう。

「ハラボジ」が生まれたのは、1907年。
日本が朝鮮を植民地にした1910年に3歳。
救世軍に出会って、教会に通うようになったといいます。

植民地下でのクリスチャンといえば、
尹東柱(ユン・ドンジュ)
1917年生まれ、1945年福岡刑務所で獄死した詩人。
去年、カン・ハヌルが尹東柱を演じて映画にもなりました。

「ハラボジ」より10年若い。ハラボジのインタビューが行われた
1996年に、尹東柱が生きていれば80歳。うわぁぁ…。

さて、「ハラボジ」は、朝鮮から日本の大阪へ渡ります。
理由は、「貧しかったから」。
「ハラボジ」の家は稲作をしていて、子供は4人、「ハラボジ」が末っ子だったといいます。つまり、「口減らし」で家を出たのでしょうか。

大阪に上陸したのが、「ハラボジ」16歳の時。1923年です。
もし東京に上陸していたら、関東大震災に遭っていたかもしれません。

大阪で出会った牧師さんがブラジル布教に行くことになり、「ハラボジ」は牧師さんの活動を助けるために、一緒にブラジルへ渡ります。
ブラジルで日本人女性と結婚して養子となり、三田姓となりました。

ブラジル移民朝鮮人の先駆けである「ハラボジ」は、
朝鮮戦争後に、中立国行きを希望してブラジルに来た捕虜たちや、
朴正熙時代に急増した韓国からの移民に対して、
港まで迎えに行ったり、自宅に住まわせたり、
ご自身も食べるのが精いっぱいの生活であったにも拘わらず、同胞支援を続けました。

朝鮮人であること

16歳まで過ごした直民地下の朝鮮では、日本人からいじめられたそうです。
思い出して、顔をゆがめ涙をこらえる「ハラボジ」に、心が痛みました。
その後の大阪でも、朝鮮人が仕事を探すのは難しく、豆腐屋と風呂屋で働いたけれど、賃金は日本人よりはるかに安かったと。
日本人は偉そうにしているから、戦争には負けると思ったとも語っていました。

それでも三田姓を名乗り、日系人コミュニティーで暮らしながら、
朝鮮人同胞への支援を続けた「ハラボジ」。

朝鮮の地を離れたのは、貧しかったから、と答えていましたが、
ハラボジの娘さんによると、「ハラボジ」の父親がキリスト教に反対してたそうです。

「ハラボジ」のアイデンティティは、
朝鮮人であることと、クリスチャンであること。

しかし、
植民地支配下の朝鮮で、朝鮮人として生きていくことはかなわず、
自分の家族の下では、クリスチャンとして生きていくことがかなわなかった。

クリスチャンとして生きるためにブラジルに渡り、三田姓となり、
朝鮮人として生きるために移民の支援を続けてきた。

朝鮮と日本とブラジルに引き裂かれてきた人生、
「ハラボジ」の顔を見ているのが苦しくなりました。

子孫にリンゴを食べさせたい

岡村監督の「これから何をしたいですか」という問いに「ハラボジ」は、
リンゴの木を栽培して、子孫にリンゴを食べさせたい、
と答えます。

監督は、なんでリンゴ?という疑問から色々尋ねますが、
「ハラボジ」の好物がリンゴというわけでもなく、
キリスト教の信仰に対する比喩というわけでもなく。
ただ「子孫にリンゴを食べさせたい」。

作品の最後、「ハラボジ」はお母さんのことを尋ねられて、
「自分は我慢して子供に食べ物をくれた」
と話しながら、顔をくしゃくしゃにして涙を見せました。

自分のためじゃなくて、子供に食べさせる。
なんらかの、継承・・・。

朝鮮と日本とブラジルに、引き裂かれてきたけれど、
「ハラボジ」の人生では、
朝鮮と日本とブラジルを、融合させたのだとも感じました。

執り成す人

私はソウル留学から戻ってきた1988年に、祖父母の住む神戸を訪ねました。
「ソウルで韓国語を勉強してきた」と祖父に報告したとき、祖父は
「京城やろ?戦争のとき、京城におったんや」。

「京城で、何をしたの?」と聞けませんでした。
おじいちゃんの、戦争の加害者としての話を聞くことになるかもしれない、
と思うと、祖父が亡くなるまで、怖くて聞けませんでした。
聞いておくべきだったと、後悔しています。

「ブラジルのハラボジ」を見た翌日の日曜日、
実は私、半年前から教会に通っていまして、この日の説教が印象的でした。

イザヤ書51章12節
「多くの人の過ちを担い背いたもののために執り成しをしたのはこの人であった」

「執り成す」というのは、2者の間に立ち、
相手に共感し、最後まであきらめず、新しい何かを創造すること、
というお話でした。
聖書では、執り成す人=イエス・キリストです。

お話を聞きながら、人間社会一般的にも、執り成しというのはあって、
私は「ハラボジ」を見た翌日だったので、
岡村監督は、執り成す人なんだなあと思ったのでした。

インタビューの4年後、「ハラボジ」は亡くなりました。
人生を引き裂く戦争が近づいている今の私たちに、
岡村監督の執り成しで私たちに残された「ハラボジ」の遺言。重いです。

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コメント

  1. すばらしいレビューをありがとうございました。
    自分のことをメディア:チャネラーと思うことしばしばですので、「執り成し」のご教示ありがとうございました。
    今日は鈍行乗り継ぎで東京から浜松まで行ってきます。
    明日から沖縄です。

      • sokjon2016
      • 2018年 2月 28日

      岡村監督!
      ご直々のコメント、ありがとうございます。
      どの作品も、見た後、強い感想をもちます。
      次回の来日上映会、新作を楽しみにしています。
      ハードスケジュール、お気を付けください。

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