【30年前】韓国留学準備

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両親を説得できたので、晴れて、留学準備を始めたのですが、今と違って、いろいろ想像できない苦労がありました。

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自力で手続きは大変

当時、まだ大学の第二外国語に韓国語もはいっておらず、当然、大学では韓国への交換留学というシステムもなく、
自力で受け入れ大学を探すしかありません。

老舗の「延世大学語学堂」に関する情報はありましたが、高麗大学でも語学コースが出来るという噂がありました。

新し物好きなので、こちらのほうに惹かれるものの、30年前ですから、インターネットで調べるということもできません。

どうしたかというと、韓国領事館に電話をしました。
すると、韓国大使館に一枚、パンフレットがあるといいます。
領事館でなく、大使館…。
とりあえず、行ってみました、大使館。
入口で待たされ、若い職員がパンフレットをぽんと手渡してくれました。

高麗大学の語学コースは1986年設立なので、まさに、できたてのほやほやです。苦労してパンフレットを入手したので、留学先は、ここに決定。

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領事館で泣く

次に、長期滞在のためのビザを申請しなければなりません。
またまた韓国領事館に電話して、必要書類を聞きました。
一番重要なのは「保証書」だそうです。
韓国語教室の先生に相談して、所属していた教会の牧師さんに保証人をお願いすることにしました。
「保証書」の書式を郵送して、必要事項を記入し返送してもらいました。
その他の書類もそろえ、いざ、ビザ申請へ。

領事館はすでに、異国情緒たっぷり、つまりアウェイ感で威圧されますので、
ものすごく緊張していたのを覚えています。

そんな中、韓国人の職員に、提出した書類を突っ返されました。

「これでは申請できません。書類が不備です」

この上は無いというほどの、無愛想でぶっきらぼうで、いじわるな態度に感じました。

身元保証人の保証書には、「コーセーショーショ」が必要だそうです。
日本語なのか韓国語なのかも訳分からず、パニック!

思わず、ぽろぽろと涙を流してしまいました。

すると、無愛想でぶっきらぼうで、いじわるだった職員が、突然、ものすごく優しい口調で、

「大丈夫ですよ、公正証書とってもう一度提出してくれれば大丈夫です」
と慰めてくれたのです。

その時、若干19歳だった私は、学びました。
「涙は女の武器である」

My Revolution

「公正証書」と漢字でかかれても、世間知らずな19歳には、どこにいけば手に入るかもわからない。
領事館から渋谷駅に向かうバスの中で、途方に暮れたことを覚えています。
バスを降りて、一息つかなくてはと、ハンバーガー屋に入りました。

ため息をつきながら、ハンバーガーを手に取ったとき、店内のBGMが耳に入ってきました。

夢を追いかけるなら
たやすく泣いちゃだめさ
君が教えてくれた
My Fears My Dreams 走り出せる

渡辺美里の「My Revolution」
「そうだよね。夢を追いかけるなら、泣いちゃだめだよね。そうだ、私は走りだせるぞ」
なんとも単純に、立ち直ったのでした。

帰宅後、「公正証書」だから証明書だろう、証明書なら役所だろうと、
区役所に電話をして、最寄りの「公正役場」を教えてもらいました。

今思い出すと、留学そのものよりも、留学準備を通じて学んだことの方が、もしかしたら大きかったかもしれません。

そして、今でも「My Revolution」を聞くと、当時の不安や心細さを思い出して、じわっと泣きそうになります。
そんなこんなで、留学への第一歩、ビザが取得できました。

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