ドラマ『二十五、二十一』同じタイトルの歌は悲しい別れの歌
ドラマ『二十五、二十一』が人気です。主人公たちのかわいらしさと、1998年が背景なので小物などのなつかしさなど、いろいろ魅力的ですが、ハッピーエンディングにならない予感が余計に視聴者を惹きつけているようです。
サッドエンディングの予感
『二十五、二十一』ドラマの概要と、
主人公ペク・イジン死亡説について。
ヒドの娘の父親が
ペク・イジンではないっぽいとか、
大人になったヒドが、高校生ヒドと
あまりに雰囲気が違うとか、
大人になったユリムら友達たちも
一切出てこないとか、
いろいろサッドエンディングを
思わせる要素がありますが、一番不吉なのが、
公式ホームページの人物紹介です。
日本語にするとこんな感じです。
ヒド以外のイジンやユリム、ジウン、スンワンらは、
現在年齢が入っていません。
大事な誰かが、死んでしまうのではないか、
耐えられない衝撃が、
ヒドを別人のように変えてしまったのではないか、
と想像できます。
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同じ名前の歌の歌詞
あと、もう一つ。
サッドエンディングの根拠があります。
このドラマのモチーフになった?同名の歌。
자우림(チャ・ウリム)の2013年のこの曲。
(画像をクリックすると曲が流れます)
바람에 날려 꽃이 지는 계절엔
아직도 너의 손을 잡은 듯 그런 듯해
그때는 아직 꽃이 아름다운 걸
지금처럼 사무치게 알지 못했어
너의 향기가 바람에 실려 오네
영원할 줄 알았던 스물다섯, 스물하나
風に飛ばされ花が散る季節には
まだ君の手を握っているように
あの頃まだ花が美しいことを
分かってはいなかった
君の香りを風が運んでくる
永遠だと思っていた二十五、二十一
그날의 바다는 퍽 다정했었지
아직도 나의 손에 잡힐 듯 그런 듯해
부서지는 햇살 속에 너와 내가 있어
가슴 시리도록 행복한 꿈을 꾸었지
그날의 노래가 바람에 실려오네
영원할 줄 알았던 지난 날의 너와 나
あの日の海はとても
まだ手を握られているようだ
夕暮れの中、木本私がいる
胸が痛くなるほど幸せな夢をみた
あの日の歌が風が運んでくる
永遠だと思っていたあの頃の君と私
너의 목소리도 너의 눈동자도
애틋하던 너의 체온마저도
기억해내면 할수록 멀어져 가는데
흩어지는 널 붙잡을 수 없어
君の声も君の瞳も
せつない君の体温さえも
思い出すほど遠くなる
離れていく君を捕まえられない
바람에 날려 꽃이 지는 계절엔
아직도 너의 손을 잡은 듯 그런 듯해
그때는 아직 네가 아름다운 걸
지금처럼 사무치게 알지 못했어
風に飛ばされ花が散る季節には
まだ君の手を握っているようで
あの頃はまだ君が美しいことを
分かってはいなかった
너의 향기가 바람에 실려오네
영원할 줄 알았던 스물다섯, 스물하나
그날의 노래가 바람에 실려오네
영원할 줄 알았던 지난 날의 너와 나
君の香りを風が運んでくる
永遠だと思っていた二十五、二十一
あの日の歌が風が運んでくる
永遠だと思っていたあの頃の君と私
物悲しい歌ですよね。
「永遠だと思っていたあの頃」
という歌詞は特に、先日のドラマ第10話
修学旅行を真似した海でのひと時を
連想します。
ハッピーエンドでなくても、
納得いく最終回であってほしいです。
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最後まで読んでいただきありがとうございます。
皆さまの韓国語の勉強に少しでもお役にたちますように!
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