鄭義信作『たとえば野に咲く花のように』敗戦6年後の朝鮮戦争と日本

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「鄭義信 三部作」でチケットを取ってあるので、もう一枚が1割引きになるサービス券を使って友達を一人誘い、初台駅で待ち合わせをしました。
早めについたので、改札口から出てくる人々を凝視していたところ、
一人の男性に目が釘付けとなり・・・
たぶん、私のちいさな目が倍の大きさになっていたと思います。

先方がぺこりと頭を下げたので、やはり!と思って
「鄭義信さん?」と声をかけてみたら、「はい」。
「これから見るんです!三部作全部みます!」と、意外に私はミーハーでした。
「あ、今日だけなんです、明日から焼肉ドラゴンの神戸に行きます」
宣伝動画の通りのしゃべり方でした。

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スタッフ

脚本:鄭義信
演出:鈴木裕美

キャスト

満喜: ともさかりえ
康雄: 山口馬木也
あかね:村川絵梨
直也: 石田卓也
珠代: 池谷のぶえ
淳雨: 黄川田将也
太一: 猪野 学
鈴子: 小飯塚貴世江

『たとえば野に咲く花のように』
2016年 4/6(水)~24(日)新国立劇場 小劇場
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写真は新国立劇場HPから

あらすじの前に

初演は9年前だそうです。
9年前に、「ギリシャ悲劇三部作」の一つとして「アンドロマケ」の副題つきで作られたそうです。
アンドロマケといえば、トロイアの女で、夫のヘクトルはアキレスに殺され、息子も殺され、本人は戦利品として敵方に連れ去られた・・・

今回、アンドロマケの副題もついていないし、ギリシャ神話と切り離しても理解できるお話です。
というか、どこがどう、アンドロマケなのか、よくわからない。

『たとえば野に咲く~』は、舞台が1951年、主人公は在日朝鮮人の女性です。
負けたトロイアが朝鮮で、勝ったギリシャ軍が日本で、戦争で亡くなった主人公の婚約者がヘクトルか?
という解釈もできなくはないのですが、それが「本筋」でもなく・・・、
むしろ9年前の評価はどうだったのだろう、と気になりました。

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あらすじと感想

1951年の福岡にあるダンスホールが舞台です。
そこで働く3人の女性と、その女性をめぐる男性たちの話です。
1951年といえば、敗戦から6年、朝鮮戦争まっただなかという背景です。

そこで働く女性その1満喜(ミキ)

朝鮮からわたってきた女性で、婚約者を戦争で失っています。
ライバルダンスホールの経営者、康雄は満喜に惚れますが、康雄という男は、

もともとやっていた工場で朝鮮特需のおかげで大儲けしている、
戦争で生き残ったことを負い目に感じている、
婚約者がいたが、戦争から帰ってきて人が変わり、婚約破棄したい、

という人です。
満喜は、失った婚約者が忘れられず、康雄をずっと拒絶していましたが、
彼の痛みを知って、受け入れました。

わたし
在日1世ということになりますが、祖国への思いが強くあるわけでなく、
運命を受け入れて、流されて、その中で自分を生きればいい、と腹をくくっていました。
主人公がそんな感じなので、作品全体にも「在日」とか「朝鮮」という色合いが薄く感じました。

そこで働く女性その2鈴子

鈴子は、満喜の弟、淳雨が好きです。
淳雨は、祖国朝鮮への思いを強く持っていて、朝鮮戦争で儲けた康雄を嫌っています。
また、米軍物資を生産する工場などを攻撃して警察に捕まったりする人です。
しかし、それはすべて、
戦争中に日本の憲兵となって、同じ民族である朝鮮人への弾圧に加担した過去
への後ろめたさからでした。
鈴子は、「そんなに苦しまないで」と淳雨を抱きしめますが、淳雨は女に構っている暇はない様子。

わたし
私はこの淳雨をもっとクローズアップしてほしかった。
姉の満喜に「民族活動をしているっていったって、憲兵だったくせに!後ろめたいからでしょう!」と言われた淳雨は、怒るだけで言い返せないでいましたが、過去の償いで米軍批判するのは筋が通っている!とか、何もしないよりいいじゃないか!とか、言い分はあるけど、言えない。

今の時代から過去を振り返れば「憲兵として植民地支配に協力?許せん!」となりますが、
もし今、自分が、戦争中の価値観、雰囲気のなかに放り込まれたら、どう感じ、どう判断し、どう行動するのか、とても不安なので、淳雨に一番感情移入してみていました。

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そこで働く女性その3珠代

珠代は、店の客、太一が好きです。
太一は海上保安庁に勤めていますが、ある日、「しばらく店に来られない」と言います。
朝鮮半島近海での機雷除去に従事するというのです。米軍が朝鮮半島で活動しやすくするための作業であり、事実上、「戦争に参加するっちゅうこったい」ということです。
だから、内密の業務であり、珠代に「絶対だれにも言うな、そして1か月して帰ってこなかったら死んだということだ」、とも。

わたし
公演パンフレットに、「(太一のセリフは)、今回の再演に合わせて書き足したセリフと思われる方もいるかもしれない。でも台本は初演と同じです」とあります。
初演からの9年で、より戦争がリアルになってしまったという変化を改めて感じます。

そこで働いていない女性、あかね

康雄の婚約者。良い家柄のお嬢様ないでたちで現れます。
婚約解消してくれという康雄を、好きすぎて憎まなければ自分を保てない。
「なんで私じゃだめなの?なんであんな朝鮮女がいいの?」
というセリフからわかるように、かなり嫌な女です。

さらに、満喜に、康雄の本当の姿を知っているの?と、
戦争中に、仲間の食糧を奪って生き延びたことを暴露します。
「奪った食糧、さぞや、おいしかったでしょうね!はーはっはっは」
と、康雄をいたぶるあかねは、本当に悪魔・・・。

一方、康雄の子分、直也はずーっとあかねを好きで、あかねが康雄を諦めることを待っている。
あかねは、直也に「康雄を痛めつけて!康雄を殺して!」と叫びます。
直也は、あかねを大好きだけど、康雄も本当に大事な兄貴だと断りますが・・・。

わたし
ポスターに、「ダンスホールでの四角関係」とあるのは、直也→あかね→康雄→満喜、ということなのでしょうけれど、とじてないから直線関係?
あかね、本当に嫌な女だなーと思ってみていましたが、考えてみれば彼女も戦争の被害者なわけです。
夫や恋人が戦争から帰ってきて喜んだけれど、
別人になってしまった
あかねは、いっそ死んでくれればよかったのに!とすら言い、
康雄も、いっそ戦争で死んでしまった方がよかった、と言っていました。
それを、恋人が死んでしまった満喜の前で言うのですから・・・。

ラストのネタバレ

再演なので、ネタバレしてしまいます。
これから観劇予定で、ネタバレ好まない方は飛ばしてください。

康雄が、「満喜と暮らすため、ダンスホールを任せる」と、直也に伝えたところ、
直也は、「あかねちゃんとおれを捨てるのか」と激昂し、
割れた瓶を持って康雄に襲いかかりますが、なぜか淳雨を刺してしまいます。
淳雨を殺してしまったと思った直也は走り去り、康雄も満喜に深く頭を下げて、
直也を追っていきます。
淳雨は、腹に隠し持っていた「朝鮮女性」という雑誌のお蔭で無傷でした。

その後、珠代は妊婦になっていて、太一と暮らすためにダンスホールを去る準備をしています。
鈴子も妊婦になっていて、淳雨を支えて生きていくと言っています。
なんと満喜も妊婦姿で登場し、「生まれるころには康雄さん、帰ってくるかしら」みたいなことを言っています。直也を追っていったまま、帰ってきていないんですね。
妊婦三人、相変わらずきゃっきゃと賑やかに笑いあっているところで、幕。

わたし
鄭義信の描く女性は、強くたくましい。
満喜のセリフで「私たちの苦労なんて、50年後にはみんな幸せになっているから忘れられているわよ」というようなのがあります。すでに65年経ったのに、在日の方たちへの差別、ヘイトスピーチなど、「みんな幸せ」には程遠い現状です。

『焼肉ドラゴン』でもそうでしたが、登場人物が「未来」を明るく語るほどに、その「未来」を私たちは「過去」や「現在」として現実を知っているので、笑えない、泣けてしまうんですね。

とても重たいテーマを、コミカル要素入って見やすい作りで、それでも見終わった後に、しみじみいろいろ考えてしまう、よい作品でした。

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