【私の場合】国際結婚から10年、そして離婚へ

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2016年12月現在、引っ越し準備をしています。22年過ごした静岡を離れ、横浜へ引っ越します。やはり22年という時間に、多少センチメンタルな気分になっております。

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引っ越しの多い人生

幼少期、父の会社の社宅に住んでいました。父は転勤がなかったのですが、より広い社宅ができたと聞くと引っ越していました。4,5回、引っ越したと記憶しています。

結婚するとき、東京から横浜に引っ越し、「子供の父親」の就職に伴い静岡に引っ越しました。静岡でも3回引っ越しました。
子供が二人になったため、より広い家への引っ越し。
離婚に伴い、私がアパートを借りての引っ越し。
父子家庭から母子家庭になるための引っ越し。

断捨離という言葉がはやって久しいですが、引っ越し=捨てる作業なので、
捨てるの、大好きです。

離婚理由

結婚してから3年間、「子供の父親」は大学院生でした。
奨学金はもらっていたものの、YMCホテルの仕事をそのまま続けていました。

結婚して引っ越しましたが、東京から横浜への移動ですから、
仕事や人間関係に変化はありませんでした。

ところが、「子供の父親」の就職が決まり静岡に引っ越すと、
私は無職になり、人間関係もゼロからスタートです。
引っ越した年の9月に第2子を出産したので、
思うように活動範囲を広げることもままならず、

静岡では夫に依存して生きるのか??

という不満がふつふつとわいてきました。
夫の就職を祝う一方で、
自分自身のキャリアがゼロになったというヒガミ
のようなものもあったと思います。

今だから、キャリアだのヒガミだのと言葉になりますが、当時は、
「よくわかんないけど、腹が立つ」
という状態でしたので、家庭内は険悪でした。

国際結婚による文化・習慣の衝突は、さほど感じませんでした。
日本で暮らしていたということと、
「子供の父親」が結婚当時からすでに日本の生活が長かったので、
彼が私に合わせてくれていたのだと思います。

離婚にあたっては、やはり子供たちに苦労を掛けたと申し訳ないのですが、
特に、
「韓国語を聞くとケンカしているように聞こえる」
という、韓国語に対する偏見を与えてしまったのが悔やまれます。
そして、韓国語でケンカ表現を駆使していたあの当時が、
もしかしたら、私の韓国語会話力のピークだったのかもしれません。

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引っ越しと言えば

韓国語に집들이(チプトゥリ)という言葉があります。
引っ越すと、新居に友達を招いてお祝いの食事会みたいなことをします。

『ピノキオ』の第19話で、アン・チャンスが집들이してましたね。
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アン・チャンスが、ハミョンらを집들이に誘うときに、
마음은 가볍게 손은 무겁게
心は軽く、手は重く
と言っていたセリフ、自分の집들이の時に使おうかと思っています。

ハミョンらが집들이に持参した手土産
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洗剤やらトイレットペーパーなど生活雑貨。
アン・チャンスは不満そうでしたが。

確かに、お祝いの食事は豪華そうでした。
この日のメインはカルビ。
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そんなわけで、今までの人生を振り返りながら、ぼちぼち引っ越し作業を始めています。

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